Loading...

信頼を築くのに体罰より良い方法を探しませんか?~自分がされた体罰を肯定しつつ、今後の体罰を否定できる?~

みなさんお元気ですか?うちバトへようこそ!おおかみパパです。

うちの子バト、顔つきはまだ幼いですが、パッと見では親バトと変わらなくなりました。
最近は鉢の裏に隠れてなかなか出てきません。親バトが来るとピーピー鳴いて出てくるんだけど、人の気配でサッと隠れてしまいます。


子バトの写真
こんな隙間からの写真しか撮れなくなりました
なにはともあれ、無事飛び立ってもらいたいものです。

さて、ここ2回、罰について書いてきました。今回はバドミントン界に目を向けてみました。

#…といってもサンプル数=1ですけど(苦笑)…大げさですみません (_o_)

前々回紹介した山口さんと同年代、同じくオリンピックに出場したバドミントンの陣内選手はブログで「体罰、暴力問題に思うこと」を書かれています。全体としては納得できるのですが、残念ながら以下の記載があります。

「私が現役の時、指導者の手がとんでくることはありました。でも、なぜ手を出すのかという理由も指導者からきちんと伝わりました。なぜか。それは、何よりお互いに信頼関係があったからこそでした。ですから、自分の中で「体罰」「暴力」を受けたという認識はありません。事実、私は指導して頂いた方々には、本当に感謝していますし、恩人だと思っています。」(上記記事から抜粋)


もちろん、この文章の前後には時代が変わったことと、体罰に反対する内容が記載されています。しかしながら…おおかみの個人的な意見ですが、体罰反対がこの記事の趣旨であるならば、この部分は書いてはいけなかったと思います。理由は前後の体罰に反対する文章の説得力が大きく低下するからです。

抜粋部分で恐縮ですが(記事全体としては体罰を否定されています)、上の部分だけを見ると、これは体罰肯定派の方々が良く使うフレーズと思います。

罰を使わなければ信頼関係が気付けなかったのであれば、それは指導者のスキル不足ではないでしょうか。罰なしで同等、あるいはそれ以上の信頼関係を築く方法はなかったのでしょうか。



体罰が無い世界では、信頼が築けないのでしょうか?
罰が無い世界では、信頼が築けないのでしょうか?

その部分を深堀して欲しかった。


その上でやはり体罰がなければ信頼が築けなかったというのであれば、残念ながら体罰肯定の記事になります。

一方、体罰がなくても信頼関係が築けたと思うのであればそれを書いて欲しかった。今の時点で振り返って、どうすれば体罰なしで同等かそれ以上の効果、価値を生み出せたのか。それはこれから指導を行う立場の人間にとって、貴重な情報となったはずです。


おおかみ、力ずくが120%いけないと考えている訳ではありません。
例えば、この先で橋が崩れかかっていて、渡ったら下の川に流されてしまうことが分かっているときに、それでもどうしても進む!って子がいたらぶん殴ってでも止めるでしょう。
他の子に危害を加えようとしている子供を緊急的に止めるっていうようなケースもあるかも知れませんね。
なので、何がなんでも、どんなケースでも力ずくは絶対にダメっとは言えないと思っています。
#これは「暴」力ではありませんよね…おおかみボキャ貧なので「力ずく」ってしたけど、もっと良い言葉ないかな。

でも、これは「罰」ではないですよね。
言葉の定義でちょっとややこしいくてすみませんが、これは「罰」ではないとおおかみは考えています。
「罰」ってのは、何かしらの好ましくない結果に対して科すものであり、部活動や教育の現場にはそぐわないものと思います。
その分の労力をポジティブなモチベーションを引き出す方向へ持っていければ、みんな幸せと思います。


最後はちょっと蛇足だったかな(苦笑)。
ブログっぽくない重たい話題にここまでお付き合いいただきありがとうございました!
懲りずにまた来てくださいね~。では。
バドブログランキング参戦中♪おおかみに餌を! にほんブログ村 その他スポーツブログ バドミントンへ


0 コメント:

コメントを投稿

 
TOP